最高裁判所第三小法廷 昭和45年(オ)238号 判決 1972年7月25日
上告人
早田保實
右訴訟代理人
川崎友夫
大江保直
堀野紀
石塚久
被上告人
早田静江
右訴訟代理人
和田良一
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人川崎友夫、同大江保直、同堀野紀、同石塚久の上告理由および上告人の上告理由について。
所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができ、右事実認定の過程に所論の違法を認めることはできない。
原判決は、被上告人が、上告人の意思に基づくことなく、勝手に同人の署名欄に同人の氏名を記載し、かつ、押印して、同人と婚姻する旨の届書を作成し、昭和二七年一一月一七日これを所轄の戸籍事務管掌者に提出したという事実を確定し、右婚姻は上告人の届出意思を欠くものとして無効としたうえ、右届出当時、上告人と被上告人との間に夫婦としての実質的生活関係が存在したこと、および上告人において、昭和二九年三月頃右届出を知つた後もその効力を争うことなく、同人が昭和三五年九月頃被上告人と別居するまで右生活関係を継続し、昭和三九年七月に至つて突如家庭裁判所に婚姻無効の調停申立をしたことを認定するとともに、右届出を知つた後右調停申立までの間において、上告人は、特別区民税の申告書に被上告人を妻と記載してこれを提出し、長女の結婚披露宴に被上告人と共に出席し、私立学校教職員共済組合から被上告人を妻として認定されながら異議を唱えず、同人に医療のため右趣旨の記載のある組合員証を使用させるなど、前記婚姻の届出を容認するがごとき態度を示していたという事実を確定し、上告人は、おそくとも右調停申立当時までには、無効な右婚姻を黙示に追認したものであり、右追認によつて右婚姻はその届出の当初に遡つて有効となつた旨を判示した。
原審の確定した事実関係のもとにおいては、原判決の右判断は、無効な養子縁組につき追認によつて届出の当初に遡り有効となるものとした当裁判所の判例(昭和二四年(オ)第二二九号同二七年一〇月三日第二小法廷判決・民集六巻九号七五三頁)の趣旨に徴し、正当として是認することができる。
おもうに、事実上の夫婦の一方が他方の意思に基づかないで婚姻届を作成提出した場合においても、当時右両名に夫婦としての実質的生活関係が存在しており、後に右他方の配偶者が右届出の事実を知つてこれを追認したときは、右婚姻は追認によりその届出の当初に遡つて有効となると解するのを相当とする。けだし、右追認により婚姻届出の意思の欠缺は補完され、また、追認に右の効力を認めることは当事者の意思にそい、実質的生活関係を重視する身分関係の本質に適合するばかりでなく、第三者は、右生活関係の存在と戸籍の記載に照らし、婚姻の有効を前提として行動するのが通常であるので、追認に右の効力を認めることによつて、その利益を害されるおそれが乏しいからである。
論旨は、かかる追認を認めることは実定法の根拠を欠く旨主張する。なるほど、民法は、無効な婚姻の追認について規定を設けてはいないが、これを否定する規定も存しないのであり、また、取消事由のある婚姻につき追認を認める規定(民法七四五条二項、七四七条二項参照)の存することを合わせ考慮すると、前記のように合理的な理由があるにもかかわらず、ひとり無効の婚姻についてのみ実定法上の直接の根拠を欠くがゆえに追認を否定すべきものと解することはできない。のみならず、論旨のいうように無効行為の追認は民法一一九条の規定によつてのみ認められるとも解することはできない。すなわち、財産上の法律行為について、当裁判所は、他人の権利をその意思に基づくことなく自己の名におい処分する行為は、その処分の効果が生じてないという意味においては無効であるが、権利者がこれを追認するときは、民法一一六条本文の規定の類推適用により、右処分行為当時に遡つて有効となるものとしている(昭和三四年(オ)第五〇四号同三七年八月一〇日第二小法廷判決・民集一六巻八号一七〇〇頁)。そして、本件の事案は、事実上の妻が夫の意思に基づかないで夫の固有の権利を行使した点において、右判例の場合との類似性を見出すことができるのであつて、本件の追認は、民法一一六条本文の規定の趣旨を類推すべき根拠を全く欠き同法一一九条の規定によつて律すべきであるとすることもできないのである。論旨は、また、原審が黙示の無方式の追認を認めたことを論難するが、無効な身分行為の追認について、一定の要式を必要とせず、また、黙示のものであつてもよいことは、前記の最高裁昭和二七年一〇月三日第二小法廷判決の趣旨とするところであり、今なお、これを変更するの要を認めない。
その他、原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨、事実の認定を非難するか、または独自の見解に基づき原判決を攻撃するに帰し、採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(関根小郷 田中二郎 下村三郎 天野武一 坂本吉勝)
上告代理人川崎友夫、同大江保直、同堀野紀、同石塚久の上告理由
第一点(A) 原判決が無効な身分行為の追認につき理由を示すことなくこれを認めることによつて理由不備の違法をおかしていると同時に、これに関する法令の解釈を誤まり、右法令の違背は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、原判決は無効な婚姻届の追認に関しこれを理論的に肯定しつつ次の通り述べている。
「婚姻の届出がほしいままに当事者の一方もしくは第三者によつてなされ、当事者間に婚姻の意思も夫婦としての実質的生活関係も存在していない場合には、右婚姻を不成立もしくは無効をもつて論ずべきことは明らかであるが、当事者の一方が相手方不知の間にほしいままに婚姻届をした場合であつても、その当時当事者間に夫婦としての実質的生活関係が存在しており、相手方において右婚姻届を了知した後もなお右届出の効力を争うことなく、右生活関係を継続している等の事情があるときは、右届出が無効であつたとしても、相手方においてこれを追認するにいたつたものというべく、右追認によつて婚姻はその婚姻の当初に遡つて効力を生ずるものと解するのが相当である」
思うにこのような事実関係に対する具体的法条が存在せず、且つこの問題が民法総則編の規定と身分法体系との接点に位置する極めて重要な理論上の問題であるにも拘らず、原判決はその根拠を示すことなく安易に最高裁昭和二七年一〇月三日第二小法廷判決の趣旨を拡張類推してこれを論拠としているように思える。
二、右の判決は他人の子を実子として届け出た者の代諾による養子縁組の追認の許否に関し、まず第一に取消し得べき養子縁組について追認を許す規定(旧民法八五三・八五五、新民法八〇四・八〇六・八〇七)が存在することを根拠に要式行為であるにも拘らず縁組が追認と本質的に相容れないものではないという前提を措定し、第二に代諾は法定代理の一形式であることから代理権の欠缺は一種の無権代理であるとして民法一一六条と養子縁組追認に関する規定の類推から満一五才に達した養子による無方式追認を認め、第三にそのことの当然の帰結としてその追認に遡及効を認めたものである。
三、抑々民法は身分的法律行為の効果について厳格な要式性を要求し、一定の形式(届出)を伴わぬ限り社会的実体として身分的生活事実が形成されていたとしても、その生活事実に一定の法的効果を付与することを拒んでいる。然もその形式は適式且つ適法になされたものでない限り、仮に当事者間に身分的効果意思と身分的生活事実が存在していても、法的にはこれを無価値と評価する建前を維持している。このことは必然的に不適式な届出の後において当事者の追認(効果意思の後発とその表現)によつてしてもその効果を左右し得ないという裁判例を生み出していた。(右最高裁判決と同様の事実関係についての大判大正七・七・五―新聞一四七四号一八頁、大判昭和三・六・二六―新聞二八九〇号一五頁、大判昭和一三・七・二七―民集一五二八頁)
同様の考え方は事案を異にする別の判例にも現われている。
すなわちAB夫婦が夫Aの甥を養子とする縁組届出をし、約一年半後にAが死亡したが、その後に妻のBから縁組無効確認をして、Aは自分(B)の名義を偽造して届け出たもので自分の関知しないことだと主張した事案について、養子側からのBの追認により右縁組が有効になつたとの反駁に対しさような縁組は無効であり、追認によつて有効になることもないと判示した件(大判昭和四・五・一八―民集四九四頁)と、父Aが死亡して長女Cが戸主となり、隠居して、母Bが相続し、ついでこれも隠居して、C女の夫Dが相続している場合に、C女が自分の隠居届は母Bが勝手にしたものだと主張して、Bを相手に隠居無効確認を訴求した事案において、隠居届の後に関係当事者の間に和解が成立し、C女は母の勝手にした隠居届を追認したという事実があつたのに対し、「本人ノ意思ニ基カサル隠居ハ絶対無効ニシテ追認ノ途ナシ」と判示した件(大判昭和一三・二・一五―民集六〇一頁)である。
四、右の様な実定法の建前と、判例の態度に対し、中川善之助教授は無効な身分行為一般の追認可能性を認めるべきだと主張され、その根拠を身分的法律行為と財産的法律行為との本質的差異に求め、身分的法律行為においては論理的な意味において法規より先に事実が先行すると説かれこの考え方を基礎に「身分への行為」を分析して本質社会結合的意欲たる身分的効果意思(いわゆる心素)と身分的生活事実(いわゆる体素)と法律的表示行為としての方式(いわゆる形式)という三つの要素の結合として把え、その三者の関係を見合結婚(心素の後発的発生の場合)を例にひきつつ三者が当初から完全な形で備わらなくとも「身分への行為」は有効に存在し得ること、従つてそれを更に一歩進めて心素の欠缺の場合にも追認によりそれを備うるに至つた場合は、この追認により無効な行為をも有効になし得るものであることを主張され(中川「身分法の総則的課題」一九四頁以下)、多くの学説の賛同を得ている。
五、以上の動向からみるとき前掲最高裁判決は実定法の建前から中川教授始め学説の唱道する無効な身分行為一般の追認理論への過渡的な存在として位置づけられるように思われるが果たしてその通りであろうか。
前掲最高裁判決が追認の理論的根拠の一つとして無権代理の追認に関する規定(一一六条)の類推を掲げたことについて小石寿夫「先例親族相続法」一六七頁、島津一郎「親族法」三五頁は共に右判決において従来の判例理論の根本的改訂に対する準備と覚悟の存在を疑問とされるが、これに対し山畠正男「総合判例叢書」民法(15)五八頁は「右判決が一一六条を援用したのは、無効縁組の遡及効を理論づけたかつたためと推測され、その他の無権代理規定の適用は予想していないと考えられるから、判例の真の意図はかねてから中川教授の主張された無効身分行為の一般的追認を認める方向にあるものと解するのが妥当であろう」とされ、川井健「代諾縁組」(家族法大系Ⅳ一八五頁)も「判旨も無効な身分行為の追認理論を念頭におきつつ、たまたまその身分行為が代諾であつたため無権代理の追認の技術を採用したと考えられ、右理論肯定の一階梯をふんだと理解できる」とされ、多くの学者もまたそのように理解して積極的に支持しているようである。
六、しかしながら上告人は、右最高裁判決が追認を肯定するために無権代理行為の追認に関する規定を類推したのは、単に無効な身分行為の追認理論へのワンステップであつたと評価して、原判決のように無反省に他の類型の無効行為の救済にまで飛躍するのは許されないと考える。
すなわち中川教授の主張されるように総則規定(一一九条)の適用を排して無効な身分行為の追認を肯定する根拠が身分的法律行為の特質に由来するものとするならば、他方身分行為に厳格な要式性を求めるのもまた身分法体系に内在する本質的要請であつて、一方の要請を重視する余り他方の要請を省みざるはひとつの誤まりである。
最高裁の判断は学説のすう勢に影響されたのかもしれぬが、あくまで代諾という法定代理的行為に関する事案について総則規定(一一六条)との調和の上に立つて、具体的事案に対する判断を与えたにすぎないと解するのが相当である。つまり実定法体系の枠内における許された類推により養子の立場を救済したにすぎないと考える。この判決について諸々の論評が行なわれているが「従来の判例理論の根本的改訂に対する準備と覚悟の存在を疑問」とされる見解はその意味では正鵠を射ているように思われる。最高裁判決は明らかに無効な身分行為の追認理論に進むことについてちゆうちよを示しているのである。
凡そ無効行為の追認を論ずるにあたつては、財産的行為におけるより身分的行為における場合の方がより一層慎重な判断を要するものではなかろうか。何故ならば、追認理論においても追認といえるためには効果意思(心素)と共に生活事実(体素)の存在を必要とされる(財産的法律行為にあつては事実は単に意思の存在を認定せしめる資料にしかすぎない)のであるが(中川前掲書)、身分的な生活事実そのものは、その本質として時間的にみれば継続的経過的なものであり、かつ或る断面で見るならば当事者の内部だけに隠された閉鎖的な存在であつて、時間の経過により浮動変動し、外部より真実を認識しがたい特殊な事実関係である。身分的行為がかかる特質を持つが故に身分法体系は身分関係の形成につき厳格な要式性を要求し、単にそれらしき実体がうかがわれるからというだけでそれに法的意味を付与すること拒否しているのである。(本件の事実関係は正にそういつた当事者双方の複雑な感情のからみ合い、長年月に亘る事態の変化、内部と外面との乖離という身分的生活事実の特質を最もよく備えているといえよう)
従つて最高裁の判断は、あと一押しすれば無効な身分行為一般の追認理論に駒を進めるであろうという、いわゆる単純な意味での過渡期の産物というよりはむしろ、気の毒な養子を救済しようという意欲と、実定法体系(特に身分法)との間で苦慮した結果のぎりぎりの判断であり、その意味では「殆んどすべての学説によつて画期的判決と讃えられる」(判例民事法昭和二七年度来栖評釈)ような展望をもつた理論的所産ではなく、ある限られた範囲の問題についてのテクニカルな救済判決とみるべきである。
そうとすれば、代諾養子の問題については別個の観点から問題の解決を図つてもよかつたわけであり、その意味では「代諾という行為は、養子を本人とする代理行為ではなく、真実の父母の縁組意思の表現であるという立場から縁組当事者である父母の承諾の存在を理由としてこの縁組の効力を認め、届出は当事者の表示の誤記として訂正すべきである」とする平賀判事の見解(戸籍七八号)は傾聴に値いする。
現行法に不合理性や硬直性があるとすれば、具体的な場合において、例えば右の平賀判事の如く、或いはまた無効を主張する側とされる側の事情勘案の上特にひどい場合には信義則等の一般条項の適用によつて無効の主張を封ずることも可能であろう。また明らかに効果意思が認められる場合にはその段階において新たな身分行為があつたものとすれば充分であろう。(民一一九条)
要は最高裁の判断(テクニック)を一歩進め、無効行為一般の追認理論に至ることは現行法体系の下ではむしろ立法の問題であり、それを敢えて判決の基礎とするならば裁判官による立法のそしりを免れ得まいと思われるのである。
その意味で原裁判が根拠を示すことなく無反省に追認理論を採用し、しかもこれまた根拠を示すことなく遡及効を認めたのは明らかに法令の解釈適用を誤まつたもので理由不備とさえいえるものであつて当然破棄さるべきである。
第一点(B)
一、原判決は無効な身分行為の追認につき、法令の解釈・適用を誤つており、この意味において原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背がある。
前述(第一点A一)のとおり原判決は本人の意思に基づかないで当事者の一方(被上告人)又は第三者により無効な婚姻届がなされた場合に婚姻の相手方(上告人)の黙示的追認(無方式)がなされたときは、遡及的に婚姻が有効となる旨法令の解釈を判示し、黙示的追認事実を認定して無効な婚姻が遡及的に有効となつた旨を判断した。
併し民法は第七四五条第二項および第七四七条第二項に於いて取消し得べき婚姻の追認を認めているが、当事者に婚姻意思・届出意思がないのに擅に婚姻届出がなされたような無効な婚姻(民法第七四二条)につき追認を認める規定は存在しない。本件は昭和二七年一〇月三日御庁第二小法廷判例(民集七五三頁)の事案が養子の無権代諾権者と養親との間の養子縁組の場合の代理権欠缺の事案とは異り、婚姻当事者間の婚姻意思欠缺の事案であるから、均しく追認といつても右判例の場合の如く民法第一一六条の無権代理行為の追認理論が直接には持出せない事案であり、民法第一一九条を論ずべき事案である。
民法第一一九条本文は「無効の行為は追認によりて其の効力を生ぜず」と明定しているのであるから、婚姻という身分法上の意思表示であつても、それが無効であるときは当然且絶対的に効力なきものであり、法律的には完全に無であつて追認の対象たるべき物が何もないのであるから、これを当初に遡つて有効とする追認は認められないのである。従つて原判決の前記立論は民法第一一九条本文の解釈を誤り、且その適用を誤つたものと云わなければならない。
又民法第一一九条但書は「但し当事者がその無効なることを知りて追認をなしたるときは新なる行為をなしたるものと看做す」と明定しているのにも拘らず原判決は追認によつて前記無効な婚姻はその婚姻の当初に遡つて効力を生ずると判示し、遡及効を認めている点において同条但書の解釈及び適用を誤つている。
更に民法第七三九条は婚姻は届出ることによつてその効力を生ずるとし、これを要式行為としている。形成的身分行為につき届出の無効な場合には後日これを追認しても有効となることなく、たとえその身分行為をなす意思あるも届出を要する要式行為でありこれは強行法規であるから、この要式を欠く以上単なる追認により無効行為が有効となることなしとしてその要式性が強調されてきたのが従来の判例であり、通説であつた。
然るに原判決は大審院以来の判例通説に違反し、無要式の追認により婚姻の無効行為を有効となしうると判示し、この点に於いても法令の解釈を誤つているのである。
右の如く原判決は無効な身分行為の追認につき、身分法上の規定及び民法第一一九条の解釈・適用を右の如く誤り法令の違背あるものである。而して原判決は本件の婚姻届は上告人不知の間にその意思に基づくことなく被上告人により擅になされたもので、上告人の婚姻意思、届出意思なきものであるから無効な婚姻である旨判示している。それ故原判決が無効な身分行為追認につき民法第一一九条の解釈・適用の誤りという法令違背を犯さなかつたならば、本件判決はその結論を逆にする関係にあるのであつて、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違背に当る。
二、原判決は無効な身分行為の追認につき最高裁判所及び大審院の判例に違背し、この意味において判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背がある。
最高裁判所昭和二七年一〇月三日第二小法廷判決(民集六巻九号七五三頁)は
「一、他人の子を実子として届け出た者の代諾による養子縁組も、養子が満一五年に達した後これを有効に追認することができる。」「二、右追認は明示又は黙示の意思表示を養子から養親の双方に対し、養親の一方が死亡した後は他の一方に対してすれば足りる。」と判示した。
右判例はもとより中川善之助教授の身分法乃至身分行為の特質に由来する身分行為の無効の追認理論――超実定法的理論――を全面的に認めすべての身分行為の無効を追認により遡及的に有効となしうることを是認したものではない。
養子縁組という届出のある場合換言すれば養子縁組という要式身分行為について必要な形式が存在している場合において代諾権のない者のした代諾縁組という一種の無権代理について、民法第一一六条の無権代理の追認理論により、その代理権の欠缺の効果を追認によつて補完することを認めただけのものである。
従つて右判決から、本件の場合の如く本人の意思に基づかずに他人が擅に届出た婚姻が本人の追認によつて遡及的に有効とされるようになつたということは直ちに出て来ない。
(民法第一一九条)
一般に身分行為は本人の意思によるべきもので他人が代つてすることができないのが原則であるが、一五才未満の子の縁組については代諾が認められているので、代諾権のない者のした代諾縁組を一種の無権代理として構成したのが右判例の事案であるが、之と異り婚姻の如く本人の意思によるべきで、他人が代つてすることのできない身分行為につき、本人の意思に基づかずに他人が勝手に婚姻届出をした場合とは明らかに区別されるべきものであるからである。
右判例の事案は、本人の意思に基づく必要はなく唯代諾権のない者によつて代諾されたという案件であり、本件の事案は本人の意思に基づく場合であるのに本人の意思に基づかずになされたという案件であつて事案が異るのである。そして財産行為については代理権の欠缺の場合と、意思の欠缺の場合とでは区別して取扱われているのである。
代理権の欠缺の場合には無権代理行為の追認に関する民法第一一六条の類推適用による遡及的追認を論ずる余地があるが、右判例が代諾縁組を無権代理として構成した点を重視すると代諾権欠缺と意思欠缺の両者を同一に取扱う根拠はなくなり、本件の如く婚姻意思の欠缺の場合に民法第一一六条を論じ遡及的追認を云う余地はない。(民法第一一九条本文及び但書が論ぜられねばならぬ。そして意思存在の時から以後に――遡及的にではなく――有効となるとすべきである。而も要式性の具備を要件とする。)
然るに婚姻意思の欠缺に関する本件事案につき、民法一一六条の無権代理の追認理論をとる前記判例が妥当するものと解し、たやすく右判例の法理を拡張して本件無効婚姻の追認を認めた原判決は先ずこの点に於いて前記昭和二七年の判例の適用につき誤りを犯し前記判例に違反したものといわなければならぬ。
大審院判例大正七年七月五日(法律新聞一四七四号一九頁)、昭和三年六月二六日(法律新聞二八九〇号一五頁)、昭和四年七月四日(民集八巻一〇号六八六頁)、昭和一三年七月二七日(民集一七巻一七号一五二八頁判例民事法昭和一三年度九七事件来栖賛成)は何れも養子縁組につき代諾権なき者のした身分行為は絶対無効であり無効行為は追認によりて之を有効となすことを得ざるものと判示している。
最高裁判所昭和二五年一二月二八日第二小法廷判決(民集七〇一頁)は嫡出子の出生届出があつて養子縁組の届出がない場合に縁組の意思があつても届出は要式行為であり強行法規であるから届出がなければ無効行為の転換を認め得ない旨を判示するに当り、身分行為の要式性を強調した。即ち大審院判決最高裁判例のすべてを通して、未だ曾て無効な婚姻届ある場合にその追認を是認した判例は皆無であつた。そして形成的身分行為はその届出の時に(婚姻)意思がなければ無効とすることも大審院以来の判例であり、無効な行為は追認しても始めから有効とならないことは通説であつた。
然るに原判決は無効な婚姻を追認により有効となる旨判断し、その追認の時に要式性を欠いてもよく而も遡及効があるとする点において大審院及び最高裁判所の判例に違背している。
この意味において原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の背違がある。
三、原判決には理由不備の違法がある。
原判決は無効な婚姻の無方式の追認による遡及的有効を判示するがその根拠に如何なる法規を適用してかく断ずるのかは少しも明らかにされておらず明確を缺く。原裁判所が事実を認定し法規を解釈適用して結論に到達した過程が不明確で判明し難い。之は劃期的な判決の判決理由としては物足りなく、判決に理由を附さない違法ある場合に該当すると云わなければならない。
御庁におかれては、単に代理権の欠缺の場合だけでなく意思の欠缺の場合においても無効な身分行為の無方式の遡及的追認を認むべきものとされるか否か、その法的基礎をどこに置かれるかにつき本事件を期に新しい判断を示されたいのである。<以下略>